たのしみ

ふと目にした記事で、
「たのしみ」には「楽しみ」と「愉しみ」ふたつあると知りました。

「楽しみ」
「楽」という字は、元々は楽器という「物」を表し、
それを叩いて楽しんだから「楽しい」と転じたとのこと。

「愉しみ」
「愉」という字は、心につかえながなくよく通る状態を表したものとか。

さらに、
いま私たちは生き方を大きく変える時に来ていて、これからは物に頼った「楽しみ」ではなく、
心が充実するような「愉しみ」が大事になってくるように思います。
といったことが書かれており、
「楽」と「愉」の違いに納得したと同時に、この記事を書かれた方に共感した次第。

夫に「いつもごきげんだね~」とか「いつもたのしそうだね~」と言われる妻。
別にテンションがハイなわけでもなく、怒っている姿すらもたのしそうらしい。
ただ、機嫌がよくないときは別らしい。
( たしかに、怒っているときも怒っている感覚をたのしんでいるし(笑)
機嫌がよくないときは、重いエネルギーを感じて不快だし(笑))

昨日も、夕食時に妻の顔を見ながらニコニコ微笑む夫に
「なっんだよ~ー。-」と妻。

夫いはく、妻の顔を見ていると幸せな気分になるとのこと。
いつもたのしそうだから、うれしくなるのだそう。
夫に文句を言ったあとで、ごきげんだったわけでもなく、
ごきげんでない感覚を感じながらごはんを食べていた妻。
その状態の妻ににそう言えるなんて、あっぱれ夫。

さて、「楽」と「愉」の記事を読んだのはその後のこと。
日々特に「楽しみ」はないけれど、「愉しみ」ながら日々を過ごしているのは確かな妻。
夫がいう「たのしそう」とは、「愉しそう」ということなのかもね。

さて、その夫。最近の笑顔がいけている^^
部屋に飾っている夫の子どもの頃の写真とうりふたつ。
その写真は、夫が3才くらいの時の姿で、写真から満面の笑みがあふれている1枚。
 そういえば、高校時代の夫に「全てを吸い取るような笑顔」という印象を持っていたもの。
 別に、恋愛感情もなかったし、口もきいたことなかったのだけれどね^^

幼稚園の時のたのしさを強烈に覚えている夫は、その話をするとき本当にたのしそうで、
ただただ純粋にたのしんでいたことが伝わってくるほど。

中学くらいだったか、そういうたのしい感覚が消えたとのこと。
でも「その消えていく感覚も覚えていることはすごい」妻は言ったもの。

子どもの頃、純粋にたのしい感覚という体験がなかった妻には、
夫の記憶はうらやましくもあったけれど、
「ある時から消えた」という感覚は、淋しい体験だな~とも感じたり。

いまが純粋にたのしいと感じられ「いまが一番」と感じる妻には、
昔はたのしかったな~…という台詞は、実に淋しく感じられ、
そのときのような純粋な「たのしい」を大人になった「いま」味わって欲しいな~。
それが妻の願いであり、それにはまず自分がその姿で生きること…
そう思って、古い癖をバリバリ壊してきたもので。
 ( 人は人によって、いのちの純粋性に気づかされ、壊す勇気を貰い、
  そして純粋性を取り戻していくんだろうね)

だから、子どもの時のような笑顔を放ちだした夫を、心底うれしく感じられるんだわね。
妻の言動に腹をかかえて笑う夫の姿を見るたび感じる至福。
夫に限らず、たのしそうに笑ってくれる人の姿を見ると、それだけで単純に至福。

「楽しい」笑いでなく「愉しい」笑いがうれしい気分にさせてくれる…
愉しいは、いのちの純粋性だから人まで愉しい気分にするんだろうね。
赤ちゃんの微笑みが人を幸せにするように。

大人になってその笑顔を蘇らせるには、愉しくするには、
自分の感覚に正直になり、あるがままありのままであることに責任を持つ。
そんなことなんだな~と感じる次第^^

「愉しみ」を知るとあまり求めなくなる「楽しみ」。
「楽しさ」と「虚しさ」は時に表裏一体、「愉しみ」はいのちの根源…
いのちに素直でいると、愉しくなっていくことを感じるいのちのステキ☆
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by maruisora | 2011-07-13 18:50