ことばを止めて

むかし手話を習っていた時に思ったですね。
健聴の人が当たり前のように使っている「ことば」はイコール「音」なのだなぁと。
信号を目にした時、口にせずとも頭の中で「信号だ」と言葉に変換していたりする。
ろうの方はどうなんだろう? そんなことを思ったのでした。

思考中の頭の中は「ことば」でいっぱい。
「あ~でもない、こうでもない」静けさを阻止するかのようにぺらぺらと。
それは「騒音」の中で生きているようなもの。

育った家は踏切の近くで飲み屋さんも多く、
踏切の音や酔っぱらいの声の環境が普通でその音は子守歌だったのに、
結婚して静かな環境に慣れ出したら、それらの音が気になり眠れなくなっていて、
習慣のすごさを感じたものです。

思考で生きる習慣が長いと頭の中に音があることが普通ゆえ、
思考を止めた静けさに落ち着かなさを感じたりするもの。
頭の中のことばを1分間止めることも難しいとのこと。
ちなみに思考の別名は自我^^ 騒音の達人と言えましょう♪

一度でも静けさを知ると頭の中の騒音に気づき、今度はそれがうるさく感じ、
その騒音を何とかしようと思考が働きそれまた騒音…ってね^^

ところで、頭がことばでいっぱいエネルギーに触れると、
頭痛が起きたり肩から上が緊張をしだすからエネルギーは素直。
 いのちはいつだって素直で正直者。いのちに素直に生きたらそれがありのまま。
さらに、思考でいる間はハート(心臓部分)が萎縮しているもの。
萎縮していると、優しさなどの繊細なエネルギーを感じとりにくく、
恐怖心から責めや怒りなど粗いエネルギーになりやすくできているよう。

さらにそういう状態の時は、お腹の力が弱く足が地についておらず、
「よそ見してると転ぶよ」とか「考え事してると危ないよ」などの台詞はホント。

騒音の中にいると頭痛を起こしやすいように、頭の中が騒がしくても同じこと。
頭の中のことばを止めてみると、身体が緩むからおもしろいものです。
武道の達人がおっしゃっていた台詞
「“気合いを入れる”というと、肩に力を入れる人が多いけれど、
“肩の力を抜くこと”が“気合いをいれる”こと」
本当にその通りだと思います。
肩の力を抜くとお腹のエネルギー(気)が安定し、身体と細胞にまで満ちていくもの。

頭が騒がしくても、ささやき続けているいのちのささやき宇宙の響き。
それは静寂の中ですら気のせいかと思うほどの一瞬の風のよな。
聞くというよりは感じ取る感度の世界と言えましょう。
頭が騒がしいと感じ取れないようになっている…宇宙の仕組みのすごさです。

いのちのささやき感じても感じなくても日々の営みの体験は同じだけれど、
感じた時から体験はいつだって安心の中、愛の中。

頭の中であ~でもない、こうでもないと音を出すより、あ~でもこ~でもどうでもいい。
と開き直って音を止めてみる。
日々の営みの中、思いついた瞬間止めてみる。すると世界があるがまま032.gif
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by maruisora | 2011-04-23 20:12