自分を愛するということ

むかし、「自分をもっと愛してくださいね」と出会った方々に言われたもの。
自分では愛していると思っていた…にもかかわらず。
思わずそのたびに出た台詞が「愛してるつもりなんですが…」
でも、この台詞が出る間は十分じゃなかった…と後で気づいた次第^^
やがて「えっ、もっと愛していいんですか~。いや~うれしいな~」へ。

月日が流れ、いつしか人に「もっと自分を愛してね」と言っている(笑)
言いながら「本人は自分を愛してると思ってるんだよね。
何より愛することがどういうことか、わからないもんね」と思いつつも、言わずにはいられず。

自分を愛する…これほど抽象的で、説明が難しいものはないと感じていたのですが、
「これこれ!!」と思う文章に出会いました。

 体の声を無視した結果がどうやらストレスを起こすように思う。
 体はこうしたい、またはこうしたくないと思っているのに頭がそれを否定して
 行ってしまった結果、面白くない状況を生んで悩んだり苦しんだりということは実に多い。
 ぼくのフィールドで言わせてもらえば、反創造的な結果ということになる。
 つまり創造(芸術)は自らが想いに忠実に従うことから出発しなければならない。
 これに反した場合は創造とはいわないからだ。
 以前ぼくは『芸術はウソつかない』(平凡社)という本を出したことがあったが、
 こういうことである。
 芸術は愛だ。ということもでできるが、
 本当に自分が自分でありたいためには自分を愛することだ。
 嫌なことを引き受け好きなことをしないということは 結局自分を愛してないことになる。
 自分に対する愛の欠如が病気をつくることにならないか。

                            横尾忠則 『猫背の目線』より


嫌なことを進んで引き受けてしまう、美徳とされやすい行動。
いい人、優しい人、正義感ある人、道徳観念の強い人などに多いかなと。
で、アップアップしながらもそれをやりこなしちゃったりするわけです。
自覚してるならいいのだけれど、自分を愛してくださいと言われる人は大概が無自覚。

ところが、いのちにとってはそれは無理な道。疲弊するわけです。
自分の好きなことをいつも後回しにして、いつこっちを振り向いてくれるの?
他の人ばかりに気を向けずにわたしを見てよ!!
などと「怒ってみたり」「泣いてみたり」いろいろ内側からノックする。
ところが、なかなかそのノックに気づけないようになってるいるのがこれまたドラマで、
この状態が、自分を愛してない状態(体験)なんだと思います。

嫌なことを避けてばかりいるのはわがままだと言う人もいるけれど、
責任もってそれを貫けたらそれはそれで立派な哲学。
何より、いのちの流れというのは、その人に必要なことを必ず起こすようになっているもの。
もし、そのわがままがその人にとって不要であれば手放すような流れが訪れるものだし、
安心して生きたいように生きてみればいいのだとわかりました。

石橋叩いて渡るもよし、石橋突っ走るのもよし、石橋から落ちるもよし、
人から言われたからではなく、したいと感じるからする…したくないと感じるからしない。
自分を愛するとは、とてもシンプルで原点の行為。
シンプルゆえに、これまでの複雑な社会では難しいものだったのかもしれません。
それゆえ、これまではシンプルさを貫いてきた人は社会からは奇異な目で見られたり、
叩かれたりしてきたのじゃないかなって思います。

自分に愛を感じられたら、人にも同じように愛を感じられるもの。
「こういう人」「あ~いう人」になるために存在しているのではなく、
ただ自分であるためにいまここにいる…
シンプルな人が増え出しているいま、生きやすくなっていることを感じます032.gif
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by maruisora | 2010-07-25 15:57