きょうの出来事

父の所で掃除洗濯を終え、姉の後片付けを待っていると、
「がっしゃ~ん!!」

その音と同時に、外にかけだす自分に「あ~、変わらないな~」と思いつつ。
昔は、その場所でよく事故が起き、そのたびに家を飛び出しては110番をしたもの。
親には「野次馬」とよく言われていました。ほ~んとに、変わらない。

今日の事故は、自転車に乗っていた60代の男性と、70代くらいの男性の車が衝突。
自転車の人に声をかけると、幸いかすり傷だけのようでホッ。
110番には姉が家から電話。
その人に救急車を呼びますか?と尋ねると、お願いしますとのことなので、
家に戻り一緒に救急車をお願いするよう姉に伝えました。
そのとき、そこにいたお兄さんが僕の携帯でしましょうか?と。
そのお兄さん、わたしが家から飛び出すとき、事故現場に走り寄っていった人でした。

起きて脇の花壇に腰をかけたケガしている人。
自分に子どもがいたら、こういう擦り傷にも慣れていて、処置できるんだろうな~。
とふと思いながら、わたしが今できることは何?と問いかけると
「安心の提供」の感覚。
ケガの処置は下手にしない方がいい…ひとまず、タオルを濡らして傷口に。
そんなことが浮かんだので、タオルを濡らして傷口にあてました。
傷口にあてた瞬間、感じたその人からのいのちの温もり。
その人はわたしでもあって、自分がして欲しいことをしているだけなんだな~と。
転んだとき腰をうったようで、そこにも何か出来ることあるかな?と思ったら、
手が腰にいき、ヒーリングしてました。

タオルをあてると、その人、運転していた人、その男性にも「ありがとう」と言われびっくり。
お兄さんは「不幸中の幸いと言ってはなんだけど、頭とかうたなくてよかったですね」
とか、「スピード出てなかったからよかったですね」と何度も言っていて。
わたしも「こういってはなんだけど、血が出てるから内にたまらずよかったですよね」
事故現場なのに、なんだかみんな優しくて穏やかで。

運転していた人は、今日初乗車だったとのこと。
「年取るとやだね~。こんなことになちゃって」というので、
「年には関係ないですよ。どんなに気をつけていても起きる時は起きちゃうしね」って。
すると、その人は「危ない場所だからスピードを落としていたんだけどね。
自転車がいきなり出てきたんだよね」とポツリ。
気をつけていても起きることは起きる。
でも、気をつけていたから、軽くて済んだんですよね。きっと。
「あとでどっと動揺が出ちゃうかもしれませんね。気をつけてくださいね」とそんな会話。

起きることは起きる。でも、優しい世界で体験することは可能なんだと実感しました。
その人たちは、どう捉えるか、捉えたかはわからないけれど、
できるなら事故が負の出来事として記憶に残らなければいいなって願った次第。

後で、姉に「あのような時に、てきぱき動けるってすごいね」そんなことを言われたけれど、
あのような時だから出来るんですきっと。火事場のばか力的な感じ?

何より、姉を含めそこにいた人たち全員が作り出したドラマだとも感じます。
人通りが多いのに、その事故のときは人がいなくて、関わったのは姉も含めて5人。
ひとりでも欠けいたら、またひとりでも多かったら、また違った展開だったはず。
たとえば、そこに看護師さんがいたら、その人に任せるのが一番いいわけだし、
何もしないことだと感じたら、互いのためにしてはいけないと感じたら何もしないだろうし。
その瞬間瞬間の感覚がいざなうことなんですよね。

ただ、突発的な出来事が起きたときの方が、人との一体感(宇宙との一体感)や、
温もりを強く共感しあえるように感じます。
そして、人に差し出す手は本当は自分に差し出していることを改めて感じました。

傷口にタオルをあてて、腰に手をかざしてながら、ふと妹と友人の顔が浮かびました。
彼女たちも同じ事をするな…そんな感覚。彼女たちの温もりもそこに一緒に感じていました。

基本、わたしはお節介だと思います。
それで痛い思いすることも多々あったけど、それもまた個性だったようです^^
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by maruisora | 2010-07-05 20:58