真実というまぼろし

母が病院に運ばれてまもなくの時のこと…母を見舞ったひとりのおば。
過度に病院嫌いで、病院に行くだけで血圧があがるような彼女は、
わたしに抱えられて目をつぶって母のところまでたどりつくと、
泣きながら大声で「あ~お姉さん笑ってる笑ってる」と言いました。

「お姉さん笑ってたんだよ」父に熱く伝えたおば。
母のすごい形相を見た父としては、笑った母の顔を見たいと思ったのではないでしょか。
その日はお見舞いに行かないと言っていた父が、夕方の面会時間になってもぞもぞと…。
行きだがっている様子の父に、面会に行くかどうか尋ねてみると
「お母さん笑っているって言ってたよな。行ってみようかな」との返事。
ペーパードライバーのわたしは夫に頼んで、再び病院へ行きました。

母を見て「笑ってないじゃないか。○○は笑ってるって言ってたよな」と父。
時が時だっただけに、父をがっかりさせたくなく、
病院に行く途中「おばにはそう見えただけだと思うよ」と補っていたものの、
父には「笑ってる」という言葉だけが響いたのでしょうね。
「おばにはそう見えたんだよ。お昼もこうだったよ。
今の方が笑ってるように見えるよ」と言いました042.gif

こんな風に、人は物事を自分が見たいように見て、感じたいように感じる。
誰もがそんな世界を生きているのですよね。
それはその時のこころ状態や願望を映し出すことも多く…
何にせよ、見える世界感じる世界がその人にとっての真実というわけです。

おばと父が「笑ってた、笑ってない」と言い合ったとして、お互いそれぞれが真実。
言い合っても、いた仕方ないことなんですね。本当は…。

争いって、自分にとっての真実が人にとっても真実と思い込んでしまうところから
生じやすいのかもしれませんね。お互いが自分が正しいと思うからこれ厄介。
真実(正しさ)VS真実(正しさ)=争い?
そう思って楽しめばこれもひとつのコミュニケーションとなりますが。(笑)

「全ては “そう見えているにすぎない” 」だけの世界。
見える世界は、自分にとってだけの真実。
そう自覚して「自分の真実」を大切にしてあげると、
人の真実も尊重できるようになっていき、自分の世界も広がっていき、
自覚がないと、正しさの主張しあいで緊張が生じやすい気がします。

また別の日。呼吸があらくなっていた母を見て、ひとりのおばは「苦しそう」と言い、
ひとりのおばは「闘っている」と言い、父は「残酷だな」と言いました。
わたしには、そこには母の肉体があるだけ…そんな風に見えたと同時に
「苦しそうに見せて「もう逝っていいよ」とみなに納得させるための愛」と感じたのです。
ただ、壊疽(えそ)で色が変わった足の先を見たとき、愛しさで撫でました。
壊疽を起こしてまで、みなが準備できるのを待っていてくれる。
そんな風に感じ、そんな優しさが愛しくて愛しくて。

それもわたしが感じる世界にすぎないだけのことだと思いつつ。

あるがままの中庸の世界は「静けさと無」。
でも、いろいろ起きるのが肉体の日々。
それなら起きることに喜び感じなきゃもったいない…
喜怒哀楽、丸ごと愛(め)でなきゃもったいない…と思うのでした032.gif



そういえば、母の呼吸があらくなりだした頃、その時の担当医から呼び出しがありました。
病院に訪れるたび、治療方針を選択させられてきたのですが、その日はわざわざ夕方に。
どの選択にも必ずリスクがあるため、毎回選択を促されていたのです。

呼吸があらい母を見て、点滴にモルヒネを少し入れてはどうか、
“多幸性”があるモルヒネの力で、もしかしたら苦しみが和らげられるのではないか、
そんな提案を受け、医師の温もりを感じたのです。
その日は、姉と2人きりだったので、迷わずモルヒネをお願いしたのですが、
医師の説明に感動でした。

“意識がない本人に、モルヒネを入れたからといって楽になるかどうか、
本人にしかわからないことなんですけど。
苦しそうに見えるから、少しでも和らげてあげたいという、こちらの自己満足かもしれません”
といったようなことをおっしゃったのです。

モルヒネを取りに保管場所に走っていったその医師の後ろ姿。
ひとりひとりの真実を大切にしている…そんな暖かな愛の背中に感じられました072.gif
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by maruisora | 2009-05-10 21:51