守破離

友人から届いた手紙の中に、落語家の小さんさんの話しが書かれていました055.gif

小さんさんがおっしゃるには落語の基本は「守破離」
友人の説明によると、守破離とは

守…師匠に弟子入りし、ひたすら師匠の教えを守り、師匠のスタイルを身につける。
破…師匠のスタイルを破って、「自分のもの」を作る。
離…作り出した「自分のもの」をさらにふるい落とし、不要なものから離れたところに、
   自分独自のスタイルがある

といったことだそうです。

いつも感じるのですが、何かひとつのものを突き詰めた人というのは、
「それ」に出会いやすいものなのでしょうね。

さて、この「守破離」。魂の旅にも通じることのように思います035.gif

守…人間世界に弟子入りし、ひたすら人間の教えを守り、人間のスタイルを身につける。
   それは、国によって時代によって育つ環境によって体験によって千差万別。
破…身につけたスタイル(思考、習慣、価値観など)を破って「自分」を見いだしていく。
離…見いだした「自分」をさらにふるい落とし、不要なものから離れたところに、
   大いなる愛の姿がある。

この「基本」を終えたところから、新たなる独自の光が放たれ出す…といったところでしょうか。

そして、「破」る時も「離」れる時も、多かれ少なかれ伴う揺れ感。
頑なに掴んでいるものほど、揺れは大きく痛く感じるものかもしれません。
産みの苦しみ…といった感じでしょうね。
その痛みや、苦しみなどの思いが、実は扉を開く鍵になってくれたりするわけです。
でもね安産だっていいんです。ホントは032.gif
苦しみの方を選んでしまった私ゆえ、安産があることもおすすめする次第です。

そして、たとえ愛する人であっても、その人の「守破離」を肩代わりすることはできません。
なぜなら、その人もまた大いなる愛に守られ、旅の途中の大いなる存在だからです。
「情」で手を出すことは、その人の旅の道中を迂回させることになりかねません。
その人の最善の近道を願うなら、出したいその手を引っ込めて、
その人も大いなる存在であることを信じ、必要以上のことはせずに見守ることだと感じます。

また、人の「守破離」を担おうとすると「無理」が生じるものです。
「無理」が生み出すものは「無理」
「無理」とは「理」が「無い」ということですから、自然な流れに逆らうことになってしまいます。

水が川上から川下に流れやがて大海につながるように、
流れに逆らわなければ物事は自然に流れていくもの。
逆ったとしても、流れの方が強いので、やがては海に流れ着きはします。
ただ、流れに逆らえばそれだけ労力を使い、自分を傷つけることになりかねません。

流れの途中に木の枝が浮かんでいたり、流れが速い場所があることもあるかもしれません。
でもね、流れに従っていれば無駄に苦しむことはなく、
「大いなる流れ」という安心を感じていられるのです。

「守破離」はその自然の流れを知るためのプロセスとも言えるかもしれません。

どんな体験も、その大いなる愛の流れの中で行われています。

周囲にいろいろな変化が起きている昨今。こころから思います。
誰もが、その流れという愛を感じられますように。
誰もが、降り注ぎ溢れる慈愛を感じられますように。
誰もが、いのちの豊かさ、内側を照らす光を感じられますように072.gif
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by maruisora | 2009-01-30 13:26