おくりもの
2009年 01月 29日
昨日、こんなことがありました
1年程前、我が家に訪れた友人が、テーブルの上の置物を見てとても気に入った様子。、
「わたしも欲しいな~」と何度もつぶやく友人に、「必要なら手に入るよ」と返事しました。
その置物、わたし自身も思いがけない流れで出会ったのですよね。
今年のはじめだったか、届いた冊子に新しい型になったその置物が載っていました。
どうやら、我が家にある置物は旧型のよう。
それからしばらくしたある日、家事をしていると彼女と置物が浮かんだのですよね。
それもキラキラ輝き放ちながら…
それをプレゼントしたい!!と何かにつき動かされるように思いました。
以前届いた冊子に載っていたことを思い出し、ネットで調べてみると、
プレゼントするにはちょっと値段が~でも買ってあげたい!!
その気持ちを友人に伝えたところ、「気持ちだけでうれしい」と心から喜んでくれたのです。
「型違いでもいいから欲しい。自分で買うから教えて」という彼女になぜか教えずじまい。
そののち、やっぱりプレゼントしたいという思いが息づくのです。
相手が気を遣う値段かな?と思ったもののOKサインが届き、
使ってなかった臨時収入があったことを思い出しました。
いざ取り寄せる段階で、実物を見て納得したものを彼女に贈りたくなり、
お店に電話してみると見本なら今すぐにあるとのこと。
それを見てから決めることにしました。
ところが、行く予定だった日に体調が優れずに行けずじまい。
結局、見ないで取り寄せることにし、後日注文の電話をすると
親切にも「旧型の置物と比べたら、輝きは少ない」と教えてくださり、
さらに、旧型は原油高で10倍くらいの価値になっていると言われてびっくり。
製造も終了しているので、稀少だとも言われさらにびっくり
「新型を一度見に来て、その目で見てくださいよ~」との親しげな声に導かれてしまいました。
行く約束はしなかったのに、後日訪ねてみると品物が用意されていたのです。
電話で応対してくださった方ではなかったようですが、尋ねるとすぐにわかったようす。
でも見てがっかり。あまりにも違い過ぎていました。
すると、旧型の置物を出してきてくださるではありませんか。
思わず「わ~これ~」と言うと、在庫がもうないので売りには出してなかったとのこと。
値段はわたしが買った時の倍以上になっており、新型の倍以上でもありました。
比較すると、一層わかる輝きの違い。
でも、さすがに買えない金額
目の前にありながら、彼女が本当に欲しがっていた物をプレゼントできないなんて。
妥協して違うものをプレゼントするなんて。
どうしても、本人が欲しがっていたのもを買ってあげたい!!
その思いがムクムクわいて、本人に打ち明けて相談してみようか…
と思った瞬間、お店の人が「ちょっと待っててください」と誰かに電話したのです。
電話を終えたあと、「新型のお値段でいいそうです」とのこと。
「え~。うれし~」と涙うるる
お店の人も「よかったですね~」と一緒によろこんでくれて。
「担当者が今日たまたまいたんですよね」とポツリ。
この1年で一層ステキになった友人。
友人の純粋なこころのちからだなぁと思いました。
夫にその話をすると、「たいしたもんだ。よかったね~」と言いながら、
その時のわたしの姿が目に浮かぶと、仕草をまねするではないですか。
そのまねが、あらまぁ似ている。夫いわく、わたしは目で全てを語るとか。
「☆☆の欲しがる目を見て、お店の人もなんとか買わせてあげたいと思ったんだと思うよ~」
なるほどそうかもしれない。
友人の純粋さに動かされたように、お店の人は私の気持ちに動かされたのかもしれませんね。
感動のドラマって、こんな風に展開されているのですよね
昔からこういう体験はよくありました。そのたび感動は新鮮でうれしくて。
でもね、あるとき気づいたんですよね。
本当は日々の出来事はこういう奇跡で出来ているのだということを。
起きたことをどう捉えるか…それだけのことなんだとね。
また、こころの状態で感じられたり感じられなかったりするだけのこと。
今日も同じようなことを体験しました。
月並みですが、必要なものであれば必ず与えられることを強く感じた次第です。
奇跡は目に見えない力の動きであると同時に、こころが起こすものでもあるのだと感じます。
「でさ~、うれし~!!って言ったんでしょ~なかなかいいよ~」
とまねをしながら言う夫に、
「そうだよ!!うれしいものはうれしいもん!!」と返事。
そういえば「うれしい!!」と言うと、みんな優しい笑顔を見せてくれます。
きっとね「うれしい!!」という思いを素直に表現することは、
相手に「うれしい気持ち」のおくりものになるのかもしれませんね。
そしてこれも月並みですが、どんな状況の中にも美しい奇跡はいつも足下にあるもの。
急ぎ足にならずに、瞬間瞬間の自分を感じ大切にしていくと、
人は美しい奇跡の中で動かされ、奇跡は「ここ」でいつも起きている…
そう感じられるのではないでしょうか。
ここにいる奇跡。あなたのわたしの日々の奇跡にありがとう
1年程前、我が家に訪れた友人が、テーブルの上の置物を見てとても気に入った様子。、
「わたしも欲しいな~」と何度もつぶやく友人に、「必要なら手に入るよ」と返事しました。
その置物、わたし自身も思いがけない流れで出会ったのですよね。
今年のはじめだったか、届いた冊子に新しい型になったその置物が載っていました。
どうやら、我が家にある置物は旧型のよう。
それからしばらくしたある日、家事をしていると彼女と置物が浮かんだのですよね。
それもキラキラ輝き放ちながら…
それをプレゼントしたい!!と何かにつき動かされるように思いました。
以前届いた冊子に載っていたことを思い出し、ネットで調べてみると、
プレゼントするにはちょっと値段が~でも買ってあげたい!!
その気持ちを友人に伝えたところ、「気持ちだけでうれしい」と心から喜んでくれたのです。
「型違いでもいいから欲しい。自分で買うから教えて」という彼女になぜか教えずじまい。
そののち、やっぱりプレゼントしたいという思いが息づくのです。
相手が気を遣う値段かな?と思ったもののOKサインが届き、
使ってなかった臨時収入があったことを思い出しました。
いざ取り寄せる段階で、実物を見て納得したものを彼女に贈りたくなり、
お店に電話してみると見本なら今すぐにあるとのこと。
それを見てから決めることにしました。
ところが、行く予定だった日に体調が優れずに行けずじまい。
結局、見ないで取り寄せることにし、後日注文の電話をすると
親切にも「旧型の置物と比べたら、輝きは少ない」と教えてくださり、
さらに、旧型は原油高で10倍くらいの価値になっていると言われてびっくり。
製造も終了しているので、稀少だとも言われさらにびっくり
「新型を一度見に来て、その目で見てくださいよ~」との親しげな声に導かれてしまいました。
行く約束はしなかったのに、後日訪ねてみると品物が用意されていたのです。
電話で応対してくださった方ではなかったようですが、尋ねるとすぐにわかったようす。
でも見てがっかり。あまりにも違い過ぎていました。
すると、旧型の置物を出してきてくださるではありませんか。
思わず「わ~これ~」と言うと、在庫がもうないので売りには出してなかったとのこと。
値段はわたしが買った時の倍以上になっており、新型の倍以上でもありました。
比較すると、一層わかる輝きの違い。
でも、さすがに買えない金額
目の前にありながら、彼女が本当に欲しがっていた物をプレゼントできないなんて。
妥協して違うものをプレゼントするなんて。
どうしても、本人が欲しがっていたのもを買ってあげたい!!
その思いがムクムクわいて、本人に打ち明けて相談してみようか…
と思った瞬間、お店の人が「ちょっと待っててください」と誰かに電話したのです。
電話を終えたあと、「新型のお値段でいいそうです」とのこと。
「え~。うれし~」と涙うるる
お店の人も「よかったですね~」と一緒によろこんでくれて。
「担当者が今日たまたまいたんですよね」とポツリ。
この1年で一層ステキになった友人。
友人の純粋なこころのちからだなぁと思いました。
夫にその話をすると、「たいしたもんだ。よかったね~」と言いながら、
その時のわたしの姿が目に浮かぶと、仕草をまねするではないですか。
そのまねが、あらまぁ似ている。夫いわく、わたしは目で全てを語るとか。
「☆☆の欲しがる目を見て、お店の人もなんとか買わせてあげたいと思ったんだと思うよ~」
なるほどそうかもしれない。
友人の純粋さに動かされたように、お店の人は私の気持ちに動かされたのかもしれませんね。
感動のドラマって、こんな風に展開されているのですよね
昔からこういう体験はよくありました。そのたび感動は新鮮でうれしくて。
でもね、あるとき気づいたんですよね。
本当は日々の出来事はこういう奇跡で出来ているのだということを。
起きたことをどう捉えるか…それだけのことなんだとね。
また、こころの状態で感じられたり感じられなかったりするだけのこと。
今日も同じようなことを体験しました。
月並みですが、必要なものであれば必ず与えられることを強く感じた次第です。
奇跡は目に見えない力の動きであると同時に、こころが起こすものでもあるのだと感じます。
「でさ~、うれし~!!って言ったんでしょ~なかなかいいよ~」
とまねをしながら言う夫に、
「そうだよ!!うれしいものはうれしいもん!!」と返事。
そういえば「うれしい!!」と言うと、みんな優しい笑顔を見せてくれます。
きっとね「うれしい!!」という思いを素直に表現することは、
相手に「うれしい気持ち」のおくりものになるのかもしれませんね。
そしてこれも月並みですが、どんな状況の中にも美しい奇跡はいつも足下にあるもの。
急ぎ足にならずに、瞬間瞬間の自分を感じ大切にしていくと、
人は美しい奇跡の中で動かされ、奇跡は「ここ」でいつも起きている…
そう感じられるのではないでしょうか。
ここにいる奇跡。あなたのわたしの日々の奇跡にありがとう
by maruisora
| 2009-01-29 18:51