感動のちから

たとえば虹に感動し、それを誰かに説明したとしても、
虹を見たことのない人が受け取るのは、
「感動」と「そういう現象があるようだ」ということくらい。
でも、その「感動」が大きかったりするのですよね035.gif

「感動」が相手に伝わって「虹ってどんなものなんだろう?見てみたい」
という興味を持つきっかけになればそれで十分。
その人が虹に興味を持ったなら、あとは自らこころのままに動き出し、
やがてその人は、その人の適切な時期に虹を見て感動を覚えるようになっているからです。

先日、家事をしていると友人が豊かな光を受け取るのを感じました。
それは、もうきらきら美しく豊かな光景。
(これはあくまでも「わたし」というキャラを通しての光景で、感じ方は人それぞれです。はい)
彼女を通して、わたしもまた「豊かさ」という気分に満たされたのでした072.gif

後日それを彼女に伝えると、その頃彼女は「豊かさ」を得るヒーリングを受けていたとのこと。
そして彼女はこう言っていました。
「お金が入ったわけではないけど、気持ちがとっても豊かになった」とね。

さらに後日、今度は「愛してる愛してる」という大きな慈愛を友人から感じたのです。
わたしもその慈愛に満たされ歩きながら涙ほろほろ053.gif

それも伝えると、今度は彼女はハートに「愛」を得るヒーリングを受けたとのこと。


このように、わたしたちは知らず知らずに「気分」「感動」のシェアをしているのです。

わけもなく「よろこび」がわくときありませんか?
もやもやしていた気分が、何かの拍子にふっと転換されちゃうことありませんか?

そんな時、どこかの誰かが「大きなよろこび」を放っているのかもしれませんよ。
「よし、わたしは変わるぞ」そんな決意をしているのかもしれませんよ。

わけもなく「不安」や「寂しさ」や「苛立ち」など感じるときありませんか?
それは、どこかの誰かの「不安」や「寂しさ」や「苛立ち」かもしれませんよ。

もちろん、自分がシェアしていることもあるわけです。

「感じる力」「想像力」は、誰もが与えられている天性だと思っています。

「感じる」ことを、信じる、信じない、選択は自由。
「感じる」ことから、恐怖の想像をするのも、喜びの想像をするのも、選択は自由。

「感じたこと」をどう捉え、そこから「どういう想像」をするか。
想像は創造。「自分の世界」は「感じる」ことから作り出されているドラマです。

この世界は、豊かな光、愛が降り注ぎ満ちています。
「人」の晴れた気持ちも、降り注いでいます。
「人」の雨の気持ちも、降り注いでいます。

「感じる力」「想像力」で、受け取ることも、受け取らないことも出来るようになっています。

人が最後に行き着くところは大いなる愛。
そこに感じるのは、絶対的な「平安」と「至福」そして「愛」。
それはもう理屈ではない絶対的な世界です

時代の変わり目、揺れている世の中だからこそ、
人間としてのわたしは素直に「愛」を受け取り、「人」の優しさや温もりを受け取り、
そして「安らぎ」「よろこび」という空気のシェアができたらな…と思います058.gif

と…最も身近な存在、わたしの足下の温もり。夫に差し出すことからですね006.gif
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by maruisora | 2009-01-21 17:23