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「晴れて良し 曇りても良し 富士の山 元の姿は変わらざりけり」
白隠禅師 前の記事を書き終え、 「単純」…これに尽きるよな~と思った矢先に出会ったことば。 これに尽きます!! 単純であれば、いる場所が大いなるいのちの世界に早変わり。
写真のブログばかりで、こちらに書くことがないこの頃。
携帯のカメラはわたしにとって気軽に楽しめるうれしいおもちゃ。 機能はいまもってよくわからないのだけど、わかる範囲が等身大♪♪と満足。 満足しちゃうゆえ機能を覚える気がおきないとも言える^^; 写真はその一瞬の光景。そこにおもしろさを感じる。 見たまんまの姿を撮っていても、思いがけない色合いや光景になっていたり、 それがまたおもしろく感じたり。 そして「写す真」というように、なぁんか「我」を感じる…というものになっていたり。 ところで、よく実感するのが「目」の機能のすばらしさ 写真の印象が、目で見ていた光景とまったく違う時によく感じる。 「目」は自分の見たいものに無意識にフォーカスをかけたり、興味ないものはぼかしたり… すごいことだ実感する次第。 そういえば「耳」もそうだ。 補聴器で聴く音と生の耳で聴く音の違いを説明を受け感動したことがある。 五官は生き方そのもののよう。 人は見たいものだけを見たいように見て、聴きたいことだけを聴きたいように聴き、 感じたいように感じているだけのこと。 そうやって、自分オリジナルの人生ドラマを作っているわけだ。 何にもフォーカスをあてないのがありのまま。固有名詞もつけずに見たまんま。 耳にしたものをそのまんま聞いて流していくのがありのまま。ただ音としてそのまんま。 それを知るだけでもドラマは違ったものになっていく。 ありのまま素のままの光景は、静かで味わい深く美しい。
近くのデパートに「遊べる本屋」をテーマにした本屋さんが入っている。
CDや雑貨や遊具なども置かれていて、置かれている雑貨は多種多様で遊び心わんさか。 置かれている本は店長さんの感性がはっきりわかるようなもののみ。 配置の仕方にもおもしろさを感じていたところ、目に入った『リトル・トリー』 かつて何度も読み返しては涙し、あまりの感動に人にプレゼントした物語。 (自分が感動する対象と人が感動する対象は違うのよ~…とは知るよしもなく ^^;) 店長さんオススメの本になっているようで、そこに添えられていた推薦文が響いた。 「この本を置くことがこの店の存在意義」そんな内容の文章で、 存在意義と位置づける感性と、そのストレートな気持ち。 純粋な気持ちって、それだけで爽やかで気持ちよいものだとしみじみと感じながら、 出会えてうれしいな~♪♪ この人と話してみたいよ~♪♪ とつぶやいたほど。 後で知ったことでは、この本屋さんは全国展開されていて、 置く品々は店長さんに全て任せているとのこと。 店長さんは、そのひと言に全てを込めたんだろうな~。ありがとう♪♪
時々、訪れる鼻声。
強い疲労のエネルギーに触れると鼻声に変わるよう。 強い否定や恐怖などのエネルギーに触れると一瞬でに口の中が荒れたりもする。 先日は、連日触れたら鼻声の後に胸元と背中に湿疹が…。 エネルギーと湿疹に因果関係を持たせるつもりはないけれど、 恐怖や否定の特徴は壊す力ではないだろか。 それにしても、心臓が痛い人に出会うと心臓が痛くなったり、 同じ部位の共感ならわかるのだけど、鼻声や口の中が荒れるのは摩訶不思議。 どうも、精神的疲労がMAXで、それを本人が認識してない… そんなエネルギーに触れると鼻と口に変化が起きるような気がする。 植物は人の思いを感じ取って枯れることがあると言われるけれど、納得できる。 抵抗することなくただ枯れる。植物に感じる清らかさはそれゆえだろう。 人間は、何とかしようと試みる。それもまた人間ならではのことなれど。 その試みを幾度となく繰り替えすうちに出会う無抵抗という在り方。 無抵抗というと排他的で無気力なイメージにとる人もいるけれど、 真の無抵抗は柔らかでしなやかで気が満ちるもの。 植物のように無抵抗にただ枯れる。 すると、広がる潤いあるいのちの柔らかさ。破壊も創造も消えていく静けさ。 大いなる世界の単純さ。 因果関係何もなく「すべてはそうできている。それが全体」
何かと気ぜわしくなりやすい時期。
身体はいまここにしかないのに、思考という線で先走ってしまうのが人の常。 どうやら、その気ぜわしさは時間軸が作り出すもののよう。 過去、現在、未来という考え方を線とするならば、いまここは点 幸不幸が線上世界なら、至福は点世界 感情が線上世界なら、感情を超えた平安なる静けさは点世界 完璧主義が線上世界なら、完璧は点世界 有る無しが線上世界なら、全てがただあり何もないが点世界 線の世界が“作り上げるもの”ならば、点の世界は常に“いまここにあるもの” 大いなる声に動かされる通りにすることをすれば点世界 いまここにいながらすべてに点在している世界
イチョウともみじで彩られる景色を満喫していたら、
突然目の前に現れた満開の桜並木。 この季節の匂いや色彩の中での桜のトンネルは幻想的でした。 写真に撮ってはみたものの、あまりのはかなげな姿を写真におさめることは無理。 写真におさめられないからこそより美しく感じられたりするもの。 つくづくと一期一会の織りなすいまの奇跡を感じます。
久しぶりに友人と電話で会話をするとブータンのワンチュク国王の話題に。
国王に感じた印象は友人とまったく同じ。 わたしなど国王に魅了されてしまい、夫に熱く語ってしまったほど。 にじみ出る空気、所作や表情が雄弁に物語っていたもの。 自国以外の世界を知ってなお貫いているからこそ力強く感じられる核。 精神性とはこういうことを言うんだろうな~と、そのほほえみや空気に感じました。 そして、はじめて耳にした国民総幸福量ということば。 国民の9割以上がしあわせと感じているなんて… それまでブータンという名前しか知らなかったけれど、 いまこうして知る機会を得られたことをうれしくありがたく思った次第です。 語彙力のある友人は、それを的確なことばで説明しており、 わたしは「それそれ!!」とただただ共感。 旅行先をブータンにしている人が増えたとのこと、この時期にステキなことだと感じます。 「国民総幸福量」…目からうろこのよろこびでした@@
いつも遊びに来てくださってありがとうございます☆
携帯で写真を撮ってもそのまんま。 少し整理してみようかとブログにしてみました。 思い立ったらすぐにブログを作れる…時代ってすごいな~と思いつつ… アルバムのようなものですが、もしよろしかったらのぞいて見てくださいまし☆ ↓↓ 空の響き # by maruisora | 2011-11-25 19:06
パソコンから離れている間に、世界は紅葉色に衣替え。
静けさの中では聞こえるさまざまな波音と触れる静けさ。 波音の中では聞こえないさまざまな波音と触れない静けさ。 刻々姿を変える景色、微動だに姿を変えない静けさ。いまはいま☆
1ヶ月で、韓国版、台湾版、アニメ版の「イタKISS」のDVD合計40巻ちょっとを鑑賞し、
原作を全巻買って2日で読み上げ、さぁこれでこの生活も終わりだわ…と思いきや。 次のマンガが現れ10巻まとめてレンタルして読み、もっか台湾版DVDを見る日々。 共感体質のスイッチが入る前までは生まれ持っての恋愛体質?で、 そのパワーが生命力であり、人生の羅針盤そのものだったことを認識した次第。 数年前に訪れた嵐を境に、そのパワーを余すことなく夫に注ぎだしたことで、 共感体質の方のスイッチが入ったよう。 いまは、DVDを見ることで恋愛体質が活かされている様子。 集中力のおかげで思考停止、潤い力やら平安度やらUP↑↑ 自分に不要な共感はしないで済んでいる感じの日々。 こころにも身体にも、ここちよさだけを選択しているからかもしれませぬ。 もうしばしDVDな日々…かしら? # by maruisora | 2011-10-10 21:11
気づけば重陽の節句以来、DVD三昧。
1週間レンタルで16本借りの時も…。 突然はまった韓国版の「イタKISS」 入江くん演じたキム・ヒョンジュンと入江くんというキャラに惹かれ、 琴子役のチョン・ソミンちゃんもかわいかったし、ストーリーもよかったし… 公式ガイドブックも買って大満足。 入江くんの結婚後も知りたいと、結婚後まで描かれている台湾版に移行。 キム・ヒョンジュンの入江くんに浸っていたので、 台湾版の入江くんにはちょっと違和感を感じたものの、それは一瞬のこと。 ジョセフ・チェンの魅力にいつしかとっぷりと^^ アリエル・リンもよかったし。 台湾版の方が、原作に忠実と言われており、 原作を知らないわたしでも、原作と原作者の感性くみ取っているな~と感じたほど。 心理描写などが丁寧に描かれていることを感じた次第。 天才ゆえ感情を知らなかった(認めなかった?)入江くんが 琴子に出会って怒りや嫉妬などの感情に触れだし、 結婚後はさらに、本来の深い優しさや柔らかさなどが開かれていく姿。 最終話で失明するかもしれない琴子に放った台詞には、全てが凝縮されていることを感じ、 その変化のさせかたもよかったな~と。 個人的には入江くんのキャラはまさにツボ!! 子どもの頃から一貫してこういう男性に惹かれていたものだと思いながら、 なんでこういうキャラが好きなのか今だからわかるおもしろさ。 一見対照的な入江くんと琴子、わたしから見たら根底そっくりな二人。 その根底に流れているものが大好きであり、原作者の感性に惚れ惚れ。 そして、琴子ちゃんのお父さんや入江くんのお母さんが愛情溢れていいんだね~。 明るくて笑えて愛情満ちて… 時間が経っても色褪せずに人気があることが腑に落ちた次第。 違和感抱いたはずのジョセフ・チェンの写真集を買ってしまおうかと思うほどに。 キム・ヒョンジュンもジョセフ・チェンも綺麗な手で、手フェチゆえそこもツボ。 今度は原作を全巻まとめ読みかなと感じつつ、このおかげで「いま」に集中の日々。 もう少しこれ続きそうな気配…☆
9月9日、菊の節句とも言われる重陽の節句。
1月は正月、3月は桃の節句、5月は端午の節句、7月は七夕、9月は菊の節句 いろいろな言われはあるけれど、きっと日常の中に節目を作ってきたのでしょうね。 節目節目で、邪気を祓い祝福を得る神事。 そもそも邪気は人間が作り出す世界、人間の無意識に発している思い。 そんな人間の癖やいのちのサイクルを踏まえて生まれたもののようにも感じるのでした。 ![]() あちらでくつろぎ こちらでくつろぎ そちらでくつろぎ ![]() ![]() くつろぎの波が広がれば この世界はくつろぎの和らぎ ![]() 静けさは宇宙の響き くつろぎは和の調べ ☆
旅行後、知ったこと。
最初、位山と思って見ていた山に、ノアの箱船が到着したという伝説があり、 さらに、位山には人類発祥の場という説もあったということ。 人間って、あちこちに同じような伝説を作るもんなんだな~… と思いつつも、象徴としては響いた次第。 ノアの箱船の到着の地、天孫降臨、光神殿、カエルの無事帰る…一瞬に浮かんだ感覚。 そして、旅行前にノアの箱船を例え話にしていたことや、 安航で到着する祈りの感覚が湧いたことが思い出され、 人類は誕生以来の長い旅を終え、ノアの方舟で光の神殿に無事帰り到着する… 人類は目覚め、大いなるいのちの光に無事還る… それを見届けた響き。 さらに、その日はマヤ暦でひとつの節目だったと知り、流れの力をつくづくと感じた次第。 何も情報を持たずに訪れたからこそ先入観をあまり持たずに済み、 感じることを感じるままに感じられたこと。 情報過多な時代に置いて、感覚は確かな導きであり道標。 位山だけに先入観を持ったため、行くことを迷ったこともこれ流れ。 迷っても、行かないことに決めたとしても、 いるべき時いるべき場所にいるべきようになっているもの。 それはいつだっていまここ。 そして知るべきことも知るべき時に知らされ、そして通り過ぎていく景色。 無事還る場所は、どこでもない「いまここ」いのちの泉☆
出発の当日、天候的にも感覚的にも山は行かず神社だけ行くことに。
夫はハナから山には行かないつもりだったとか。 「だって走りにくい道だと書いてあったから」…って登山する気なかったんだ。さすがっ。 ![]() 神社は、土地の人と共に生きている歴史を感じるいでたちで、 その空気に触れた瞬間湧き上がったよろこびの涙… やっと来れた。来させてくれてありがとう… そんな響きなのか、この感覚は縁ある場所を訪ねると味わうよう。 ぼ~っと空気を感じていると、「来てみ~」と夫の呼ぶ声。 近寄ると、1匹の大きなカエルとその背におぶられている2匹の小さなカエルの石像があり、 その横には「無事帰る」の立て札が… そのことばにうれしさ感じ、二人でカエルに水をかけありがとう☆ 水をかける行為っておもしろいよね…と思いつつ。 その後目にしたのは、白馬と黒馬の作り物の2頭の神馬。 1頭だけ置かれている光景なら見たことはあっても、2頭ははじめての光景で、 白馬には「晴れの神馬」、黒馬には「雨の神馬」と書かれており、 1対であるところにいまの時代を感じた次第。 晴れが「日(火)」なら雨は「水」。「かみ」でもあるし☆ ![]() 「飛騨一宮水無神社」という名のその神社に目を惹かれたのは 「“水無”とは“火(霊)”を顕す」と以前友人から聞いていたことと、 誕生月が“水無月”だったゆえ。 パズルのピースをあわせるような感覚が、 たのしく彩りを添えてくれる日々の営み。 ![]() いろいろなことを感じその神社を出ると、ふと目にとまった石碑。 「右、位山道」と書かれた道標で、行くのをやめた位山の文字。 案内された気がして、雨が降り出したけれども 行ける所まで行ってもらうことに。 すると、ある場所を境に強い力に変わったエネルギー。 やっぱり強い力の磁場なんだ…と思いながら、 雨あしがいきなり強くなったもののそれは聖地に行く前の雨で、 着いたら晴れると感じたところ、突如陽が差し込み晴れ空に。 雨と差し込む光の光景はそれだけで十分と感じたほどの美しさ。 ![]() その光景と共に到着した道の駅はスキー場にもなっており、 閉店しているのか、はたまた雨だったからか人はなく、 山の方は晴れ曇り。 それが位山かどうか不確かだったのものの、 一体の空気や風を感じながら至福感。 そのスキー場のリフトの下が位山の登山口だったと知ったのは帰宅後のこと。 旅行前日、道の駅まで行けば十分と思っていたその場所に到達した流れと、 そこが登山口だったことに感慨を覚えた次第。 いるべき時に、いるべき場所に、いるようになっている。いつも最善のいま。 不確かだったゆえ、その少し先まで行って確かめたくなり、 先に行っても何もないよという夫にお願いして車を走らせてもらうと、 「この道は天孫降臨の道」という看板が出現。夫と顔を見合わせ驚きの笑い。 奇異な空気も感じながさらに進むと、反対側の山中に何やらナゾの物体が… なんだろ?と車を走らせていると突如出現した「光神殿」という門と高い石のオブジェ。 目がひかれた物はその敷地にあるもののよう。 入り口の先に、立派な橋のようなものがあり、そこを渡って中に入るようなのだけれども、 奥がまったく見えないほどの広大そうな敷地にびっくり。 どこかの宗教が建てたようで、参拝も自由とのこと。 その日は閉門の日だったので入れなかったけれど、 入るには好奇心が必要に感じられるインパクトある空気。 夫いはく「人間ってなんでこういうことしちゃうのかな^^;」 その空間のインパクトは、二人にいろいろな感想を提供するためにあったと思ったほど。 旅行後、今年の夏といえば?という質問に、「光神殿」と夫。 同時に天孫降臨の後に光の神殿…これは直球に響いた象徴でありメッセージ☆☆ ちなみに帰宅後「天孫降臨の道」に「光神殿」が、 再浮上するのだから、出来事とは幾重にもおもしろいもの。 神殿に出会うことが必要だったのかそれより先まで車を走らせる気は薄れ、 不思議な感覚に包まれながら山を後にし、くつろぎのお宿へ。 ![]() 宿の玄関をくぐると、全身に沁み渡った空気 木のぬくもり、いろりの香り、 和の灯り… 一瞬にして緩んだからだ。 これなんだよね~。 安らぎを宿す…それがゼロ地場。 ![]() ![]() 前回と同じ部屋だったためか、 入るや深く感じたくつろぎ感。 緑の木々やこけの安らぎ。 自然の色合い。 その宿は長男さんに譲っているものの、夕食時の挨拶に訪ねられるのは話下手なお父さん。 でも、その風貌と微笑みで土地を愛し己を貫いた生き方を全て伝わってきて、 その姿に神殿を感じた次第。ひとりひとりが光の神殿。 宿主が立ち去った後「小さいおじさん(幸せの小さいおじさん)がいっぱいいたね」と微笑んだ夫。 二人似たことを感じていた…そんなうれしさ。 ![]() 源泉掛け流しのお湯につかり、地の食材の夕食をいただき、雨でお祭りが中止だったため、 雨音の調べにまどろみながら、 途方もない眠気の中で、 エネルギーの大きな変化を感じながら終わった1日。 翌朝目覚めると、ざっくりと何かが変わったことを感じながら、その日は高山の町の散策に。 前夜からの雨が残っていたものの、高山まで車で1時間の間に、天気は刻々と変化し、 山の天気の豊かさと自然の流れを感じながら高山は晴れ。 ![]() ![]() ![]() ![]() その日の高山散策では、 はじめての道に出会いその光景に感動。 同じ場所で出会う「はじめて」…その豊かさ新鮮さ いまここ足下はいつだって本当は、はじめて そんな散策を終えて宿に帰り、今日こそはお祭りだと思いきやまた雨が…。 「都会では雨音が聞けなくなった。屋根から落ちるしずくの音や屋根にあたる音とか。 昔はわからなかったけど、そんな音が大切だと思う。聞きたいな」 そんなことを言っていた夫の願いが叶ったのか、連夜BGMが雨音の調べとなった次第♪♪ ![]() ![]() 福地温泉を後に、 3泊めは長野。 車山のオーベルジュ。 純和風から純洋風に。 神殿の後はビーナスラインにあるお宿とは、ちょっと感慨。 ![]() ![]() 窓越しの光景は山と空 その光景だけで圧倒的な瞑想に やがて霧で覆われ そこは真っ白な世界 その神秘 もとの景色を知らず霧の景色を見るのと、もとの景色を知って霧の景色を見るのとでは、 同じ霧の景色でも味わいは全く違うもの。 意識の目覚めと似ているな~とひとりごと。 一度でも霧が晴れた景色を知っていたら、その霧はただ霧として見えるもの。 その霧の景色に何を思うも自由な味付け、思いに囚われず。 でも、その霧の景色しかしらなければ本当の姿が見えず、 いつもモヤがかかったような手探りで、思いに囚われ生きることになる。 景色が霧に包まれて、ふとそんなことが浮かんだ次第。 ![]() ビーナスラインを後に、帰宅する日に立ち寄った八ヶ岳の喫茶店。キャンドルやアンティークな食器も置かれている静かなたたずまい。 置かれていたポストカードに書かれていたのは聖書のことばと、 好きだったふたつの詩。 旅の最後に「平和の祈り」と「足あと」の詩が置かれているとは… 涙したものの、感覚が変わっていたことを感じた瞬間。 雨や霧がいろいろなことを感じさせてくれた旅を終え、帰宅すると何やら全く違うモードに。 何かの節目だったように感じた3泊4日の旅模様。 そして後日、出会った記事で旅に深まりを添えられたよう。 それは…
夏休みに訪れた旅先での物語。
春に続き、夏も福地温泉にした夫。 日程は8月18日から3泊4日、その時期の夏休みは今の会社になってはじめてのこと。 「その日にち」が何かポイント?などと思ったりもしながら…。 さて、旅行前の時期は純粋な中心に戻る力が一層強まっていたようで、 浮遊していたエネルギーはかなり混沌としたもの。 その象徴のようにいきなりの猛暑。いろいろなものを焼き払う暑さ。 あまりに混沌を感じたので「いま地球に、日本にすること何かあるかな?」 そんな自問をすると、ふと浮かんだ山の名前。 それは、その半月ほど前にCちゃんから聞いた山。 Cちゃんに夏に再び高山に行くことを話したところ、その山の話題に。 Cちゃんの知り合いのヒーラーさんが、呼ばれて7月に高山のその山に行ったとか。 春から行くように促されたらしく、秋に行こうとしていたら急に7月になったそう。 山の話を聞いた瞬間、どんよりした重い空気を感じたので惹かれることなくスルーしていて、 すっかり忘れていたその地名。 そこで、一応ネットで調べると「世界最大のパワースポット」なる見出しと共に、 祀られている石像などの写真があり、思わずどん引きし、話を聞いた時に感じた重さは、 特別意識のようなエゴのエネルギーだったのねと納得した次第。 昔の人が純粋に信仰をしていた山で、古くからの歴史もあり、登山に訪れる人も多いよう。 強力なゼロ磁場とも書かれており、それはうなづける気がしたものの、 今は山の周囲に人のエゴが雲のようにかかっているように感じられ、行く気になれず…。 ところが、友人の会話で行く気になった次第。 夫と共に再度調べてみたところ、その山の近くにあった神社の名前に目がいき、 神社を調べたところ「水源鎮護」の神社であり、その山をご神体としているとのこと。 「今ってノアの箱船に乗った人、乗ろうとしている人が多い…そんなイメージ」 と友人に話していた矢先。 同時に、人生は航海のようなものだと感じており、 「コクリコ坂から」で海ちゃんが毎朝掲げていた「安航を祈る」の旗に涙したのは、 その航海が、いつも祈られていることをしみじみと感じたゆえのこと。 今年は津波もあったし、水害も多いし、水はいのちの源と言われるし、訪ねてみることに。 何より、そこを感じると訪ねることを喜ばれているような感覚がしワクワクっという感覚も湧いたゆえ。 山も神社も高山市街の近くなので、無理なく行ける位置。 これまで何度も訪れながらはじめて知ったのだから、いまがその時。 流れとは本当におもしろいもの。 ひとまず行く予定にし、あとはその日の流れに任せることに。 それより、いますることは「強力なゼロ磁場体でいること。安航を祈ること」と響いた次第。 天気予報は連日雨マークの旅行。どんな旅になるのやら。
コガネムシくんとにゃんこのことがあった後、父宅へ。
前日に訪れたおばからの贈り物「こちらからの気持ち」というお菓子が置かれており、 お菓子の包み紙にはうれしくなることばの数々。 瞬時にしてエネルギーが変わったことを感じながら、中の栞を見てびっくり@@ そこに書かれていたのは小林正観さんの名前。 栞には「宇宙の法則」も書かれており、 こういう言葉が普通にお店でも提供されていること、おばがそれを選んだこと… 圧倒的な力で新しい世界は広がり出していることをしみじみと感じた次第。 同時に改めて感じた、幸せ感を与えることばの力。おばへのありがとう^^ 祝福感じながら、父に頼まれた使いに出るやいなやメールの着信音。 見ると夫からでタイトルは「当選したよ」 「何に????」 内容を読み道ばたで「え~☆、☆」と歓声。 みゆきの「夜会」のチケットの予約の抽選に当選したとの内容。 ある日、みゆきのYouTubeを聴き出した夫。 ふと、「歌う美輪さんだね」とぽつり。 美輪さんも歌うんだけど…^^; でも夫の言いたいことはよくわかったのでうなづいた妻。 震災後、みゆきの曲を聴く人増えたらしいよとの夫の台詞に、 「わかる気がする。うらも、みゆきの曲にどんだけ救われたか。 闇の奥の奥の底まで降りて手を差し伸べてくれる。観音菩薩を感じるもん」と妻。 手を差し伸べるなんてものでなく、生身の素手で魂をぐわんと引き上げるような力。 と、突然「夜会いつだろう?」と調べだした夫。 すると、申し込み開始日がその日@@ 是非行きたい!!久々に感じた強い感覚。 去年ははずれ。はずれてよかったと後でアルバムを聴いて思ったもの。 でも、今回は行きたい!! この震災はみゆきにきっと大きなインスピレーションを与えているはず。 いのちの根っこまで染み渡る深い力、新しい世界へのいざない… そのエネルギーを交感させて一緒に新しい世界を作っていくんだと湧いた感覚。 「きっと行ける。どう考えても行くと思う」と夫に説明した妻。 勝手にイメージを膨らませたけれど^^; 実際はまったく違うかも(笑) なにせ、刻々と世界は展開しているからね~。 そんないきさつがあっての当選。それも旅行から帰った翌日に通知とは。 さてさて、いのちに思いを馳せていたかと思えば、「やった~」のおたけび。 刻々移ろう思いの姿。気持ちというエネルギー。 それらを川の流れのように移ろわせていけばいつも水は澄んだまま。 せき止めてしまえば濁って氾濫してしまう自浄作用。 そもそも、人も自然の一部ゆえ常に変化していてこそ自然。 移ろうことに委ねれば、そこで感じられる安心という大調和。 力強く顕れ出している大調和の時代の兆し。安心して委ねてこそ顕れるその世界☆
3泊4日の夏休み旅行を終えたら、半袖1枚から長袖に。
玉手箱をあけた浦島太郎の気分の週明け。 父の所に行く荷物と、ゴミ出しのためのゴミ袋と、友人に送るための荷物を両手に、 エレベーターに乗ろうとすると、足下でブチっ!! 見ると、そこには内蔵の出たコガネムシくん あっ~>< ごめんね~>。<;; 土に戻す手もなく、それをそのままにしてエレベーターに。 そして友人に荷物を送るためにフロントに行くと、 ビニールをかかえて入ってきた入ってきた管理人さんと住人さん。 かかえられていたのは敷地内の駐車場でひかれていたという血まみれのにゃんこ。 「どうしたらいいだろう?」と受付の人に言うと「救急車呼ぶわけにもいかないですしね」 「……?? あそこの動物病院に連れて行ったら」と言ったものの…。 その場の状況ではそれは違ったよう。 みんな真心で、思いつく飼い主を浮かべ連絡したり、写真を掲示板に貼ったり。 それがマンションでの精一杯。それがこのにゃんこのすべて。 目の前では血を流し身体で息をしているにゃんこ。 誰が飼い主かより、いま目の前に息しているにゃんこがすべてに思え、 「痛かったねぇ。痛かったね」と撫でると、一緒にいた住人さんも撫で、 ひとりの女の子はずっと手を当てたまま。 血のにおい、息づかい、温かい体温。 電車の時間でフロントを立ち去り、駅に向かう道すがら感じたいのちの光景。 この足で踏んでしまったコガネムシのいのち。 この手で触れたにゃんこのいのち。そしてこのいのち。みな同じ。 みな同じなのに、扱い方が違ってしまう…。 たくさんの虫を駆除したり、悪意もなくふんずけてしまうこともあるのだから、 このいのちがふんずけられるようなことがあったとて自然。 (悪意あって踏んずけようとするなら噛みついちゃうだろうけど…) さて、父の家からの帰り道、電車を降りると足下にピカピカに光るコガネムシくん。 踏まれないようにねと言って立ち去りながら、ふと感じたいのちの円。 朝のコガネムシくんがいたら土に還そうと思ったものの、そこにはもうおらず。 ホームにいたコガネムシくんに見た朝のコガネムシくんの姿。 かけがえのない尊いいのち。 けれど、掴みすぎると閉塞して息苦しくなるのもまたいのち。 いつも尊く、大らかである大いなるいのち ☆
ある日の喫茶店でのこと。
夫の台詞に感じたおどおど感。 妻が怖くって?かも(笑) 妻と同様、本心を言えぬ環境が長かったゆえ、ウソが真実と思いこみ過ごしてきた夫。 たわいもない事実を言うときに限って、おどおどしたり、逆にケンカ口調になったりね。 すぐにケンカ口調になる、必要以上にへりくだる…、 個性といえば個性…``? でも、自己への不信を隠すための防衛本能で、 多かれ少なかれ誰もが体験するであろう、恐怖や否定が作る化学反応のことが殆ど。 口調や目が怖い…そういう人にいつもおどおどしていたもの。 そういう人は、やたら強気だったりするから余計怖く見えたりしてね。 自己、大いなるものへの信頼が生まれたとき、 怖いと感じていたその目に映ったのは、その人自身の「恐怖」 「自己不信・恐怖」を感じて、その人を怖く感じていたなんてねぇ。 自己不信が強い人ほど、へんに強気だったりするからドラマはよくできたもの。 それ以来、ただ人には安心だけを提供できるようにしていればいいのだと納得した次第。 さて、夫のおどおどに対して… おどおどを指摘し、ウソをつくしかなかった環境であったことも伝え、 新しい時代はおどおどする必要ないこと、せめて妻にはおどおどする必要ないからと伝えた妻。 って、そう言われることが一番おどおどさせるか?(笑) そう伝えたものの、わたしを信じて~…なんて薄っぺらいことを言いたいわけでない。 伝えたいのは、いのちの根源を信じてなんだけど、最善のことばが浮かばない 「妻の前ではおどおどする必要はない」と言った後で、う~んとう~んと……==; ほんの数秒の最善のことば探し。そして出た台詞… 「なぜなら……うら(自分のことをおいらを略して“うら”と呼ぶ妻)は宇宙だから!!」 自分でも思わず、「ぎょ@@」 周りにお客さんがいる喫茶店で言い放った光景がおかしくておかしてく。 もし誰かが耳にしたら笑うだろうよ。危ないと思うだろうよ(笑) いや、この時代だから共感する人もいるね(笑)なんて思いつつ、 そんな台詞を妻に言われたら、そりゃ夫なおさらおどおどするだろよ(笑) それに対して、 「さすが☆☆(妻の名前)教」と言った夫の返答に、さすがだ夫と笑えた次第。 なににせよ、いのちの根源への信頼を深めることが大切ないま このいのちは大いなる神よ~♪♪ とすっきり言えっちゃう人が増えたらいいなっ☆
「ユニークさと奇異のバランス
場所に対して優しい感情を持っているか その場所よりも自分の建築が目立てばいいみたいな傲慢さがあると それが奇異という方に振れてしまう 優しい気持ちがあると最後までユニークな方に残ってくれる」 隈さんという建築家の台詞。 建物に限らずすべてに言えてることだわと。 芸術にしても、科学にしても、日常の家事からファッション、あらゆる場面で、 「自分」を見せたい気持ちが先だっているとなんだか不自然な色合い不調和感。 同じ行為でも、純粋から生まれるものは自然な色合い調和感。 何かをするとき迷ったら、相手にとって全体にとって最善は? と自分を抜くとすぐに扉が開かれ、一番気持ちよい応えがきてくれたりするものね。 自分を抜く…それは自己への信頼、大いなるものへの信頼あってできること。 信頼が薄いうちは、自分をは抜くことが怖く感じられてしまうものだから、 自己への信頼が深まるまでは、「自分にとって、相手にとって、全体にとって」などと、 自分も入れて、自分を怖がらせずに少しずつ自己への信頼を深めてあげることが優しさ。 自己との信頼関係は大いなるいのちとの信頼関係。 大きいものを造る時は、どこから考えるのかというと窓枠から考える。 その窓枠が生きるためには、窓の間はこれくらいあけた方がいいかなと考えて その部分を面白く気持ちよくデザインをするところからスタートした方が 人間にとって優しい建築ができる。 番組の最後に流れた隈さんの台詞。 ちょっとパクって… 大いなる調和の世界をつくるなら、 日々の足下のひとつひとつをどうしたら気持ちよくしてあげられるだろう? そのひとつひとつをたのしく気持ちよくデザインしてあげることからはじめた方が、 すべてのいのちに優しい世界ができる☆
誰が言っていたのか忘れてしまったのだけれど、以前出会って響いたことば。
「幸せはスーパーのパック入れの卵のように扱うのがちょうどいい」 壊れやすいから雑に扱えば割れてしまうけれど、 壊れやすいからと大切に握りしめても割れてしまう。 ひとつふたつ割れたとしても気にしない、 おばちゃんが卵のパックを自転車のカゴに入れ持ち運ぶ位の感覚が丁度いいと。 これ、幸せに限らずすべてに言えるねと。 「大切」も度を超した時点から「執着」に。 「大切」はこころを柔らかくしてくれる力、「執着」はこころを苦しくしてしまう力。 人に対しても、物に対しても、そして自分に対しても… さて、その「度」はどこに? それは「所有」や「自分」に囚われている時に生まれる世界。 こころ開いて気持ちよく風通しよくいれば、自然にほどよい加減になる世界☆
「自分」もなければ何もない。すべては大いなるエネルギー。
それを味わったら、難しいことなんて何もない。 生物鉱物も神仏も、すべてのいのちみな同じ大いなるエネルギー。 素粒子であり、大いなるエネルギーそのものであり。 人が神さまに祈る声が時折聞こえてくるときがあり、 願いが実現するタイミングや仕組みを感じられるのは、すべてがエネルギーだから。 表現違えど昔から「自分・我」を捨てることを諭されたり言われたりするのは、 人間の苦しみは「自分」という幻想から生じるんだよ… そう、いのちに記して生まれてきたからかもしれないね。 あれこれ考えることもなく、ただ素直に感じるままに。 いま目の前のことをただ真心という本心で接する… それに尽き、そこにすべてが存在している世界。 気負うことも、主張することも、特別なこともなにもない。 「いま」をただ素直に生きる世界はいつも大いなる世界、ワンダーランド☆
人とすれ違うと、時々感じるささやきの声。
本人は無自覚で気づいてない思いこみのささやき。 「しんどくしてないと、大変にしてないと、気にかけて貰えなくなっちゃう」 …そんなニュアンス。 深いところで、気にかけて貰えなくなると思い込んでいるから、 しんどい生き方であっても、生き方を変えることは怖いと感じてしまうのだわね。 意識的に生きはじめるまで、人間は過去の体験の記憶で行動していることが殆ど。 いつかどこかで刻んだその記憶。 がんばらねば認めてもらえない… ~~しないと受け入れてもらえない…などなど強迫的な思いこみ。 誰の中にもありがちな深層心理。 ところが、無意識の気にかけてもらいたいというささやきは、 依存というエネルギーになってしまうわけで…。 そうなると、どんなに頑張っても認めてもらえない、気にかけてもらえない… こんなに大変な思いをしてるのになんで? そんなドラマが生じるやすい仕組み。 なにより、自発的行為ではないから、がんばっている感覚だけで充足感が得られない。 がんばらなくちゃならない感覚自体が、しんどいものね~。 でも、そんな生き方には、いつかどこかで身心に無理が生じる時がくるもので。 生じるようになっているのもいのちの力^^ そこから、しんどくない生き方を自分に差し出せるステキ。 しんどい自分でなければ誰かに気にかけてもらえない… しんどくない自分であれば誰かに気にかけてもらえなくても気にならない… ちょっとしたトリック大きな違い。 誰かに認めてもらいたい… 人情とは言え、エネルギーの消耗、いのちを卑しめることになってしまうから、 「なんでこんなにがんばっているのに認めてもらえないんだろう?」などと、 満たされない気持ちと淋しさがつきまとってしまうのね。 気にかけ認めてあげられるのはこの自分^^ そして、誰もが大いなる存在に愛され認められている… その実感を誰もが得られるといいね☆
ですから損得でものをしゃべったり、行動したことはございません。
自分を卑しくするとあとでさびしくなるのでそういうことは一切しないようにしています 『原節子 “あるがままに生きて”』の中に書かれていたことば。 夫に付き添い図書館に行ったらふと目について… 原節子の映画を観たのは2本ほどで内容は覚えてないのだけれど、 『わが青春に悔いなし』で演じていたヒロインの姿が強く印象に残ったもの。 凛とした空気。その清々しい美しさ。 このことばを目にして、あの空気は彼女のそのものだったんだね~と納得。 ~自分を卑しくするとあとでさびしくなるのでそういうことは一切しないようにしています~ いまだからうなづけるこのことば。 自分の本心を欺いている間はいのちを卑しくし、卑しくするから淋しい…その仕組み。 欺いていることに気づかなくても、雄弁に語ってしまうエネルギー…。 本心欺いている間は、思考中心に動くので損得が生じやすいもの。 自分を大きく見せようとしたり、小さく見せようとしたり…誰かを基準にすると生じる世界。 いのちに大きさなんてないのに錯覚起こさせ、傷つけ淋しくさせるのだから人間てすごい。 本心で生きたら基準はいのち。 いのちの源とつながってひとつになったら、傷つく必要なんてなく。 本心からの行為なら、人が喜ぶ喜ばないに関わらず気持ちよくあれるもの。 本心からの行為でないと、人の反応ばかりに気が散って気持ちよくあれない不思議。 気持ちよいかよくないか…そこが真実だったりする単純さ^^
絶望は気分の中にある。だけど信頼は意思の元にしか生まれない。
だから海ちゃんは立ち上がり、「今」と向き合う。 「コクリコ坂から」の広告に書かれていた記者さんの台詞に、 ほんにほんに、その通りよね~。と共感しながら、その端的な表現に感動。 絶望に限らず、つきつめれば感情は気分。 長年の思考の癖が作り上げた反応の世界とも言えたりもして。 それに気づかない間は、その気分に振り回されたり翻弄されたりね。 感情を超えたところにある空の世界。あるがままの場所。 そこに触れれば、感情はそれまでと違いステキな道具として使っていけるから不思議。 大いなる宇宙(自己)への信頼と意思の力は比例していた本当に。 「信頼」身につくまで「信じる決意」揺らがすこと繰り返し、 そのたび感情と向き合い明確にする意思表示。 ある量をこえたのか「信じるってこんなにえらいものなのね~><;」という感覚から、 「信じることの方がたやすいじゃ~ん」という感覚に変化していた自然。 自分を信じて待ってあげられたら、怖いものはなくなっていくステキ。 自分を信じることは、大いなる流れに委ねることになるからね☆ だから、自分を信じられないということばを聞くと思ったり、言ったりしてしまうのね。 つべこべ言わずに(笑)信じてごらんよ。いまの自分そのものを。とね^^ 信じる事は簡単な事 疑うよりも気持ちがいいね ♪♪ GReeeeN 「遙か」
ジュエリーショップで、友人へのプレゼントにするピアスの選択に迷っていると、
その優柔不断にずっとつきあってくれた男性スタッフさん。 合間合間に、お値段のいい宝石を出してくるところが実にうまい(笑) やんなっちゃうほど迷いながら、 「時間かかってごめんね~^^; 決められなくて~vv」と言うと、 「とんでもない。そのお友達幸せですね^^ 自分のためにこんなに一所懸命選んでもらえて。僕だったらうれしいです もちろんすぐに決められるのもいいけれど…」との御返事。 新鮮に響いたそのことばに「えっ`` ありがとう*^^*」 そういうこと言われちゃうと、この人から買ってあげたいと思ってしまうのね~。 すると、それまでまったく気にとめてなかったピアスが目につき、それに決定。 その後、いろいろな宝石を見せてもらいながら、 石の説明や、宝石に対するごスタッフさんの考えを聞かせてもらったり。 どんな話の中にも添えられているメッセージを感じたり…。 一期一会だから、そのひとときがうれしさや安らぎの共有がいい。 一期一会を一笑で ^^
「部屋が暗ければ、人間が明るくなればいい」
電車で隣に座っていた人が読んでいた冊子にふと目が惹かれると、 誌面の真ん中に太文字でひとこと。 お~☆。☆ 内容は節電のことだったようだけれど、一事が万事のこの台詞。 いのちは灯り。 その灯りが、足下照らしてくれるからいつだって安心。 そして、誰もが自ら灯りに気づいて明るくすれば変わるこの世界☆ 自分の生き方、いのちに責任もつ自覚をした時から見え出すその灯り。 環境や誰かのせい…責任の矛先外に向けてる間は、灯りに気づけないから、 足下見えずに不安がいっぱいになってしまうのね。 どの灯りもみな美しく明るい光。 「世界が暗ければ、自らが明るくすればいい」 灯りに気づき個々が照らしていく…そんないま☆
ふと目についた冊子の記事
「~どうせ殺されるな命なら、 どうして戦争をやめさせることにそれをかけられなかったのか~」 これは、1944年に補充要因としてフィリピンへの輸送船に乗せられた、 作家大岡昇平さんが綴ったことばなのだそう。 このことばについて、記事を書いた筆者は 「死を目前とした瞬間、横目で戦争を批判しながらも、 戦争を防ぐために何の行動も起こしてこなかった自分、 つまり「戦争を容認していた自分」を猛省した大岡。 奇跡的に期間を遂げた大岡は後に、「容認していた自分」の視点から 膨大な犠牲を出した戦闘の記録を無味乾燥ともいえる筆致で描いた」 と述べ、原発に対する自分の心境と意識を大岡昇平さんと重ねたとのこと。 極限に置かれると、はっきりとわかる本心。 いのちにウソをついた生き方していても、そのウソを突き抜けるいのちの力。 数時間後、身近な人や自分自身がこの肉体から離れるとしたら… いま何をする?何をしたい? もし浮かんだことあるならば即実行。何もなければご安泰。 それをいつの頃からしていただろう。 一度こっぱみじんになってからは、よりリアルになったこの自問。 そして、繰り返していくうちに、感じだしたいのちと行為の一体感。 行動として実行できないことが浮かんでも、意識での実行は可能。 意識で実行するだけでも、満たされながら開かれる足下のいま。 「したいけど、できない」と自分に言ったら、不満で閉じる足下のいま。 いのちから湧き上がることに本当は「できない」はなく「する・しない」だけ。 「する」「しない」はどちらも同じ行為だけれど、「できない」は違うニュアンス。 「する・しない」は責任もった生き方。「できない」は外のものに責任を持たせた生き方。 いのちは永遠。 されどいまのところ肉体は期限付き…これは誰にも平等に与えられた自然の理。 一番単純なこのことを自覚していれば、「いま」に一心でいられる開かれたいのち。 「いま」こそすべて。無限の愛☆
広告冊子に載っていた中村メイコさんのインタビュー記事。
老化を感じる出来事があったときのことについて 「しめしめ、きわめて順調な老化現象だ。 体が死に支度をはじめているぞ、とむしろ歓迎したほど。 だっていつまでも若かったらヘンでしょ?魔女じゃあるまいしね(笑) それで、老化に気づいたあくる日から「その日」に備えて いろんなものを整理しはじめました。 根が楽観的な上に切り替えも早いんです」 喜劇について 「持論ですが、悲劇は簡単ですが、喜劇は腕が必要。 私の肩書きは幼い頃から“喜劇女優”です。 娘は喜劇しか出さないと宣言した父が言うには、物心がつかないころから “お母ちゃん行かないで”ってやってると自分が不幸な子だと思っちゃうからね。 私もね、お涙ちょうだいものは大嫌い。 エノケンさんという喜劇王がその昔におっしゃったんです 喜劇っていうのは究極を知らないとできない。 例えば、お腹減っちゃって、もう一歩も歩けないよ、という状態を真剣に演じる。 観る側は、そこにほんとうのおかしさを感じるって。 喜劇役者は、理性がぶっ飛ぶくらいの状態を経験しないといけない。 そんなことを教えていただきました」 さらに、いまの女性に伝えるとしたら 「“利口ぶらない女性になってちょうだい”ということ。 自分を三枚目にできる女性はステキだと思います。 “あれっ、やっちゃいました~”みたいな女の子はかわいいですよね。 人が一生懸命に話しているのに“なるほど”っていう言葉を安易に使う、 あれもちょっとどうかしら、と思います。 安易な相づちは打たないで、それ私分からないです、って言ったほうが素直ですよね。 素直に三枚目になれる、世の中にそんなコメディエンヌが増えればいいと思います。 喜劇的要素の多い人間の方が幸せだと思いますよ。男も女も」 メイコさんは子どもの頃から父親に「君には涙は似合いませんぞ」と言われ続けたとのこと。 あとになって、その理由を尋ねたところ言葉を濁しながら 「美人なら、泣き顔もさまになるんですけどなぁ…」とおっしゃったとか。 彼女はそれについて 「でも、自分はけして美人ではないと。この自覚が早めについてよかった。 だからなるべく、泣かない、愚痴をこぼさない、しかめ面つらしない、 これを自分に課してきました。課したからには、意識が自然にそちらに向くのか、 無理なくできちゃうんです」 気持ちよく生きている人は、それだけで人をうれしくさせてくれるもの。 コメディエンヌ…これ気に入ったし^^ 「君には涙は似合いませんぞ」…な~んてステキなんだろ~。 「泣くな」とか言われたら、泣きたくても泣けなくなっちゃうけれど、 「君には似合いませんぞ」なんて温かく言われたら、 悲しい時にも自分に優しくなれるんじゃないだろか。 「君には不幸は似合いませんぞ」とかいうのもいいね^^
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